富士山の展望見事な南アルプスの高峰千枚岳と林道ウオーク
椹島から駒鳥池まで専用車を使い短時間で千枚岳を往復。
夢のつり橋:寸又川をせき止めて造られた大間ダムに架かる全長90m、高さ8mの吊り橋。赤や黄色に染まる紅葉とエメラルドグリーンに輝く大間ダムとの水面にうっとりです。 乞う、ご期待!!
■<東海>パルプ株式会社創業者 大倉喜八郎(1837年~1928年)>
大倉財閥の設立者。大成建設、サッポロビール(株)、(株)帝国ホテルなどの企業を興した。 産業の振興に尽くす一方、大倉商業学校(現東京経済大学)や大倉集古館など育英・文化事業にも功績を残し、1915年には「男爵」の称号を授けられた。
<大倉喜八郎翁記念植樹>
1929年4月、男爵の一周忌法要に際し、ご子息である喜七郎氏によって3本のサワラが植樹された。 この植樹について記した氷柱は、1970年建立されたものである。材料には井川社有林に自生し、斧が折れるほど堅く耐久性に優れている「オノオレカンバ(ミネバリ」を使用した。
<大倉喜八郎翁赤石岳登頂記念碑(向かって左側)平成3年3月吉日>
1626年8月、男爵は88歳の高齢にして赤石岳登頂を成功させた。この碑は1991年、男爵西端150年と赤石岳登頂を記念して建てられたものである。 男爵は「鶴彦」の号を持つほど狂歌において非凡なる才能を発揮し、多くの歌を世に残した。碑の正面にも、男爵が赤石岳の山頂で詠んだ歌が刻まれている。
赤石岳登頂記念碑
「赤石の山のうてなに 万歳を唱ふる老も 有難の世や」
大正15年8月7日 赤石岳山頂を極む 九十翁大倉鶴彦
米寿を過ぎた大倉喜八郎翁、赤石岳の青山を求め、一行二百人を随えて、3120mの頂上を踏破す。ここに赤石登りのコース新たに開かれる。 富士山の展望見事な南アルプスの高峰千枚岳と林道ウオーク
椹島から駒鳥池まで専用車を使い短時間で千枚岳を往復。 三日目の昼食(紅葉御膳)も乞う、ご期待!!
■<東海>パルプ株式会社創業者 大倉喜八郎(1837年~1928年)>
大倉財閥の設立者。大成建設、サッポロビール(株)、(株)帝国ホテルなどの企業を興した。 産業の振興に尽くす一方、大倉商業学校(現東京経済大学)や大倉集古館など育英・文化事業にも功績を残し、1915年には「男爵」の称号を授けられた。
<大倉喜八郎翁記念植樹>
1929年4月、男爵の一周忌法要に際し、ご子息である喜七郎氏によって3本のサワラが植樹された。 この植樹について記した氷柱は、1970年建立されたものである。材料には井川社有林に自生し、斧が折れるほど堅く耐久性に優れている「オノオレカンバ(ミネバリ」を使用した。
<大倉喜八郎翁赤石岳登頂記念碑(向かって左側)平成3年3月吉日>
1626年8月、男爵は88歳の高齢にして赤石岳登頂を成功させた。この碑は1991年、男爵西端150年と赤石岳登頂を記念して建てられたものである。 男爵は「鶴彦」の号を持つほど狂歌において非凡なる才能を発揮し、多くの歌を世に残した。碑の正面にも、男爵が赤石岳の山頂で詠んだ歌が刻まれている。
赤石岳登頂記念碑
「赤石の山のうてなに 万歳を唱ふる老も 有難の世や」
大正15年8月7日 赤石岳山頂を極む 九十翁大倉鶴彦
米寿を過ぎた大倉喜八郎翁、赤石岳の青山を求め、一行二百人を随えて、3120mの頂上を踏破す。ここに赤石登りのコース新たに開かれる。
岡本 功
「大きなアメリカよりも小さな確かなスイス」を目指す、そんな登山ツアーを実践してまいります。かつては北アルプスに明け暮れ、今は北海道の利尻・礼文から沖縄の西表島まで、主に花中心のツアーをご案内させていただきます。「愛と感動」の山旅案内人です。
(公社) 日本山岳ガイド協会 認定ガイド