古都:飛騨古川とホテルトヨタ白川郷自然学校泊まり、岐阜の自然に触れる
「岐阜の宝もの」に選定されている「天生(あもう)県立自然公園」の中にある高層湿原の天生湿原は高山植物の宝庫、湿原を抜けて北アルプスが一望できる籾糠山までを回遊します。三百名山の三方岩岳は白山、アルプスの展望台。温泉露天風呂のあるホテルトヨタ白川郷自然学校宿ではフランス料理の夕食を楽しみます。
飛騨古川の歴史と町並み
天正年間に金森長近・養子の可重(ありしげ)により、増島城の城下町として整えられました。今でもその名残が町並みに残っています。
現在瀬戸川は鯉が悠々と泳ぐ“飛騨古川の顔”ですが、武家屋敷と商人町の境界とすることも目的の一つに整備されたといわれています。そのため、武家屋敷があった場所を殿様にちなみ殿町、そして商人町があった場所を壱之町、弐之町、三之町などと名付けられ、今でもその町名が使われています。
また、瀬戸川には「馬出し橋」という橋が架かっています。武士が馬が武家屋敷町と町人町を出入りした橋であったといわれています。
瀬戸川と白壁土蔵街
約400年前、金森可重(ありしげ)が新田開発の用水として瀬戸川を造りました。昔は赤カブなど野菜を洗ったり、子供が水浴びする程の綺麗な用水でしたが、高度成長期の頃に著しく汚れてしまたっといわれています。
そのため、再び美しい瀬戸川を取り戻そうと住民が立ち上がり、1968年には寄付金を募り鯉が放流されました。それを契機に住民の意識が変わり、美しい瀬戸川を取り戻したといわれています。いまでも流域の住民は自主的に毎日朝と夕方に清掃を行っており、きれいな瀬戸川が保たれています。1986年には「岐阜県の名水50選」、2006年には全国の<疎水百選>に選定されました。
また、瀬戸川は防火用水並びに冬は雪を流す「流雪溝」として重要な役割をもっています。そのため冬の間、鯉は増島城の堀に引越します。
白壁土蔵街を流れる瀬戸川の美しい景観は、飛騨古川を象徴する人気スポットとなっています。
岡本 功
「大きなアメリカよりも小さな確かなスイス」を目指す、そんな登山ツアーを実践してまいります。かつては北アルプスに明け暮れ、今は北海道の利尻・礼文から沖縄の西表島まで、主に花中心のツアーをご案内させていただきます。「愛と感動」の山旅案内人です。
(公社) 日本山岳ガイド協会 認定ガイド