(1) 羽田(8:00~10:00頃)
山口宇部
唐樋札場跡涙松跡・吉田松陰歌碑悴坂一里塚
道の駅「萩往還」・松陰記念館
宿【泊】[--夕]
(2)
道の駅「萩往還」
御駕篭建場・茶屋跡
上長瀬一里塚
氷室の跡
国境の碑天花坂口
湯田温泉【泊】[朝-夕]
(3)
弁天坂口
柊神社
郡鏡の碑萩往還標示塔車塚古墳
英雲荘御船倉
温泉(入浴付)
山口宇部
羽田(19:00~21:00頃)[朝--]
歩行距離&時間: (1)約5.5?・約1.5時間 (2)約28?・約7時間 (3)約23?・約6時間
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唐樋札場跡(からひふだばあと)、、江戸時代萩往還の起点で、幕府や藩のお触れを書き記した高札を掲げたり、罪人の見せしめが行われました。
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萩城跡、関ヶ原の合戦の後1604年に築城。石垣と塀の一部が昔の姿をとどめ、春は桜が咲き誇ります。
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涙松跡(なみだまつあと)、萩のまちが見える最後の地点。旅人が行き帰りに別れの涙や嬉し涙を流したといわれ、吉田松陰の歌碑が建っています。
「XXXXXXXXX、吉田松陰」 ?
悴坂一里塚(かせがさかいちりづか)、萩往還には唐樋札場を起点として一里(約4?)ごとに大きな石積みの道標が建てられています。悴坂一里塚は萩を出発して最初の一里塚です。
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首切地蔵、処刑前の念仏の為か、刑死者の供養のためかは不明。首切地蔵と呼ばれ、戦時中までは地蔵尊を覆う建物があったそうです。
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松陰記念館、松陰記念館には松下村塾が再現され記念館の前には高杉晋作・伊藤博文などの塾生の銅像が並んでいます。
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明木市(あらぎいち)、萩往還沿いの宿場町として栄えた石州赤瓦の街並み。古民家の格子戸が懐かしさをかんじさせます。
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悴坂駕籠建場(かせがさかかごたてば)、駕籠建場は藩主一行が小休止するために設けられた施設。
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一升谷(いっしょうだに)、一升谷は、炒り豆を食べながら歩くと坂を登りきるまでちょうど一升食べてしまうほど急な坂であることから名がつきました。
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七賢堂の展望台、竹林道路公園の展望台から四季折々の景色とはるか萩沖の漁火が見えます。
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落合の石橋、石組みの川岸から張り出した石を橋げたにした剥橋形式の橋。山口県特有のの造りです。
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佐々並市(ささなみいち)、明木市とともに萩往還の宿場町として栄えました。赤瓦の家が軒をつらね、風情のある町並みです。
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上長瀬の一里塚(かみながせのいちりづか)、萩唐樋札場から5里、防府三田尻から7里を示す一里塚。自然石を組んだ当時のままの姿です。
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氷室の跡(ひむろのあと)、昔の冷蔵庫。山口の祇園祭へ氷を馬車で運んでいました。
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一ノ坂銀山跡、防長国境碑から山口側へおよそ600メートルほど下ると、広範囲にわたって鉱山の坑道、鉱穴が点在しています。この近辺が、毛利氏の長州藩初期における財政の要となった、「一ノ坂銀山」です。
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国境の碑、板堂峠にある長門・周防の国境を示す花崗岩の碑。
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一の坂一里塚、石で積み上げた一里塚。
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六軒茶屋跡、萩往還には、街道を行き交う旅人の休憩の場として、「茶屋」が所々に設けられました。その茶屋の中で、萩往還最大の難所、「一の坂」にあったとされる茶屋が「六軒茶屋」です。遠くには山口の町並みが見え、萩からは最初に山口の街が見える場所です。